Sink Into The Sin(preview)

「あなたは、雨宮リンドウのことが本当は嫌いなんじゃないですか?」

 長いキスの後、思い出したようにレンは言った。
 言葉じりは疑問系だったが口調はまぎれもなく断定系で、最初から疑いも無く当たり前のことのように、ただ彼が今までそれに触れなかっただけとでも言うように。
 山吹トオルは、その問いに答えなかった。
 そう言われてみればそうなのかもしれないが、そんなことないかもしれない。トオルの中で雨宮リンドウという存在は一定のラインから掘り下げることのない、好きと言うほど好きではなく嫌いと断言するほど嫌いでもなく、尊敬するところは尊敬するし軽蔑するところは軽蔑する、周りによくいる大人の一人だった。そう、しておきたかった。

「……なんで、そう思う」
「事実だからですよ」

 レンはその琥珀色の瞳で真っすぐな視線を向けた。僕に隠し事なんてムダだよ、とでも言いたげに。悪意も責める意図も悲しむような感情も感じさせないレンの言葉は、トオルの心に小さな波紋を投げ掛け、深い処まで沈み込む。
 いつまでも曖昧にしておきたい、灰色の感情。
 トオルにとってのリンドウとは。
 頼れる先輩。サクヤの大切なひと。いや、アナグラの皆にとって大切な存在。レンの、本来の所有者。

「お前にとっては、どうなんだよ」
「元相棒、かな」

 それは、以上でも以下でもなくて、現在の話ではなくて。
 指の間をするりとすり抜けるような歯痒い言葉。
 今はどうなんだ、今のお前にはどんな存在なのか、と訊きたい衝動に駆られた。

「あなたに想うような感情はありませんよ?」

 苛立ちを見透かしたようにレンは微笑む。

「僕が、こんなことをしたいのは、君だけだよ」

 トオルの腰の上に跨がったレンは、その細い首に掛けられたリボンタイを自ら解いた。黒茶色のブラウスがはだけられ白く陶器のような肌が晒される。
 まるで幽霊のようだといつも思う。触れてみれば温かいし、血が通っていることも分かるのだけれど。
 レンの肩越しには見慣れた自室の天井。とくに透けたりは、していなかった。

「どうしたの? 今日はしたくない?」

 そんなことは一片たりとも思っていないだろうに、レンはそう言って腰を擦り付けるように揺する。思慮深い彼にしては、随分と安い挑発だった。

「そんなわけ、ないだろう」

 トオルは彼の背中に腕を回し抱き寄せた。間近に赤く光る琥珀が迫り、口唇に柔らかな感触を残してすぐに離れる。人間の体温よりもわずかに低いその口唇は、かすかに震えていた。
 レンは、怯えていた。
 雨宮リンドウの神機《ブラッドサージ》のコアが人格を持った精神体、それが今ここに居るレンだった。見た目は十五、六の少年の姿をしているが内面は必ずしもそうではなく、そもそも人間ではないし性別もないのではないかとトオルには思える。彼は持ち主である雨宮リンドウを救うためにトオルの前に現れ、身を挺してリンドウを守り、そして彼自身の役目を終えた。
 ブラッドサージのコアは破壊され、その大部分は雨宮リンドウの右腕に吸収されたが、レンの精神は消えずに留まっている。いつ消えてもおかしくない、かりそめの、命ともいえない存在。

「僕は君のために、ここに居るんだ」
「……分かってるさ」

 レンの力は弱まっていた。以前のように神機使いのふりをしてアラガミ討伐に参加することもないし——そもそも、そんなことをする必要も今となってはないのだけど——彼の本体であるブラッドサージから遠く離れて人間の姿を保つことも難しいらしい。
 それでも、レンはこうしてトオルの前に姿を現す。トオルの我が儘を聞き入れるために。


(続)