ノスタルジア(preview)

 バスはさっきから時々停まるものの、人が乗り込んでくる気配はない。
 トオルが頷いて座席に腰掛けると、レンも隣りに腰掛け口を開いた。

「僕も、あなたと同じ神機使いです。まだ、実戦に出たことはありませんけれど」

 訓練中の新兵ということか。新兵なんて補充されたと思ったらすぐ顔ぶれが変わっている。
 名前を覚えているのは最近配属された新型の二人くらいだった。

「あ、同じなんて言ったら失礼ですよね……討伐部隊長の山吹トオルさん」

 羨むでも敬うでもなく媚びるでもなく、彼はその名を——極東支部第一部隊隊長として知られている名を口にした。

「フン、俺もずいぶん有名人になったもんだな。お前がミーハーなだけか?」

 隊長と呼ばれるのが、トオルは嫌いだった。名前と評判だけが一人歩きして、自分ではない誰かの話をされているようで不快だった。レンはそれに気付いているのか、淡々と続ける。

「それは僕がアナグラで生活しているからです。外の人たちは、僕たちがどんな敵と戦って日々命を落としているのかなんて、知りませんから……」

 そこでレンは、少し足元に視線を落とした。

「死ぬのは、弱いからだろう」

 トオルは吐き捨てる。
 目の前で死んだ者も居た。
 助けることも出来ずに、ただ死んでいくのを見た。戦場で血の臭いも嗅いだことのない新兵に、そんなことを語られたくなかった。

「ごめんなさい」

 レンは、はっとしたように息を飲み、素直に謝った。多分年下だろう少年に、偉そうなことを言ったことをトオルは後悔する。

「俺も悪かった」

 少しの沈黙が落ちる。
 バスは舗装の悪い道に差し掛かったのか、がたがたと揺れた。レンが居心地悪そうに身じろぎしたので、肩が触れ合う。

「その、手……」

 今気付いたかのように、遠慮がちな視線がトオルの右手に注がれた。

「どうされたんですか?」

 トオルの右手のひらには白い包帯が巻かれている。レンはそれを怪我をしているものと思ったらしい。

「あぁ、これは……大したことない」
「僕、こう見えても医療班所属で知識はあるんです。見せてください」

 レンは彼にしては少し、強く言った。

「ただの、古い傷痕だ」

 言いながらトオルは白い布をほどく。手のひらを貫いて手の甲まで、黒い酸にでも灼けたような痕がある。ある程度の傷なら、自然治癒力の高い神機使いの身体は痕も残さず治る。普通ならば。

「これは……」

 その傷が自分のものであるように、レンは眉を顰めた。

「痛みはありますか?」
「今はない。時々引き攣れるくらいだ」

 傷を隠すのは、見た人間が心配するからで他に意味はない。
 レンは細い指でそっと傷に触れた。

「これは侵喰痕と呼ばれる、アラガミに捕喰された時に出来る傷です。……あなたは、接続事故を起こしたことがあるんですか?」
「……なんだ、それは」

 聞いたことのない単語よりも。
 彼の目の色が変わったような気がしたことの方に、トオルは驚いた。さっきまで意識しなかったが、レンの瞳は赤味の強い琥珀のような色をしている。透き通った硬質な光を放つ様は、本物の鉱石のようだった。吸い込まれるように視線が外せない。

「何ともないなら、答えなくていいです」

 レンの方から視線を反らすと、彼はその白い両手で黒い傷痕を包み込むようにして握った。
 忘れていた傷が熱を持つように疼く。トオルはそれを解こうとしたが、レンはそれを許すまいとでも言うように離してくれなかった。

(続く)